今年も残すところあとわずかですが、今年は本当にコロナで1年が過ぎてしまいましたよね。
最近はまた感染者が増えてきて、「第3波だー!」「自粛しろー!」という声が大きくなってきました。
欧米と比べると感染者数も死者数も圧倒的に少ないのに、「緊急事態宣言を出してくれ!」みたいなマスコミに煽られた声がまた出てきたのを見ると、ほんとうんざりします。
僕は4月の緊急事態宣言のときから「コロナは怖くない」と一貫して言い続けてきました。
↓4月に書いた記事がこちら。
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コロナ騒動は「ウイルスの感染」ではなく「不安の感染」だと思う
新型コロナウイルスの騒動が収まる気配を見せませんよね。 緊急事態宣言で外出ができない中、テレビもネットもコロナ一色でうんざりした気持ちになってきます。 毎日コロナのニュースに触れているわけですが、いろ ...
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↓8月の「第2波」のときにも書いています。
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コロナは恐怖のウイルスではない 人間が生み出した壮大な茶番劇
8月に入り、お盆になっても相変わらず世間は「コロナ、コロナ」の一色ですよね。 正直なところ、このクソ暑い中でみんながマスクしてるのを見ると、「みんな頭がおかしくなってしまったんじゃないかな?」とさえ思 ...
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要約するとこんな感じです。
ポイント
- コロナは不安が感染してパニックになっているだけ
- 弱毒なウイルスを大ごとに扱ったから社会が対応できなくなった
- 過剰な対策が医療資源を圧迫して医療崩壊につながる
- PCR検査で陽性者をほじくり出しても意味がない
- マスコミに不安を煽られた人々が余計に社会を悪くしてる
- 指定感染症から外して「不安を感じない方向」に舵を切るべき
僕は少しでもコロナを不安に感じない空気を作りたいと思い、記事を書いてきました。
こういう意見を口にすると「あ゛ーーー」という感じで「残念なおじさん」扱いされるから、こんな記事を書いてもまったく得にならないんですけどね(笑)。
でも、データを見て自分の頭で考えると、「コロナは人間の心が生み出した人災」というのが明らかなんですもん。
4月はこういう意見は絶対言えない空気でしたが、今では僕のような意見もだいぶ増えてきました。
早く指定感染症から外して(2類から5類へ変更)、インフルエンザと同じように「普通の病気」として認識することが不可欠だと思います。
マスコミや医師会は「緩んでいる」「コロナに慣れないでください」と言っていますが、それは逆です。
自粛してもウイルスはなくなりませんし、経済を制限することでコロナの死者以上に自殺者が増えていきます(ていうか、もう増えてます)。
緩んだ方がいいし、コロナには慣れるしか道がない。
今年はコロナについてずっと考えさせられた年だったので、年の最後もコロナの記事で締めくくりたいと思います。
僕の現時点でのコロナに対する考え方を書いていきます。
なぜ世界一の医療大国で医療崩壊になるのか?
12月に入って医療崩壊が声高に叫ばれだしました。ニュースでも連日のように「もう限界だ」という現場の声が報道されています。
それでも僕たち国民からすると、どこか遠い世界の出来事に見えるのではないでしょうか。
もちろん現場で働いている医師や看護師には同情しますし、感謝しかないですよ。
でも、こないだ健康診断を受けに街の内科へ行ったらガラガラ。
子供の予防接種をしに小児科へ行っても、子供は一人もおらず閑古鳥が鳴いています。去年の今頃は、患者であふれて2時間待ちが普通だったのに。
あれだけいた病人はどこへ行ってしまったの?
テレビでは日本の病院すべてが医療崩壊に陥るように見えるけど、医療がひっ迫してるのはコロナの受け入れ病院だけです。
日本には160万床の病床があるのに、コロナ対応の病床は全国で約2万7千床しかありません(12月現在)。
多くの病院がコロナ患者の受け入れを拒否しているから、受け入れ病院に負担が集中してるのです。
ポイント
- 日本の病床数・・・約1,600,000床
- コロナ病床数・・・約27,000床
日本の病院は8割が民間経営で、国がコロナの受け入れを強制することができません。
そのため公立病院と一部の志の高い私立病院でしか、コロナ患者を診れない。めちゃくちゃもったいなくないですか!?
こんなにもたくさん病床があるのに活用できないのは、コロナを指定感染症の2類相当にしているためです。
病院がコロナの受け入れを避ける理由は、新型コロナが指定感染症の1、2類相当で、致死率50~90%のエボラ出血熱と同じ扱いにされており、医療機関は科学的根拠と無関係に感染法上の規定で、エボラ出血熱並みの対応を強いられるためです。
一般の患者は、エボラ出血熱並みの患者が通院や入院している病院は当然避ける。そうなると収益が減って病院の経営が破綻するから、ICU病床は空いていても、コロナ患者の受け入れを拒まざるをえません。
指定感染症だと病棟に清掃業者も入れなくなるから、シーツの交換も看護師がやらなくちゃいけなくなる。
ついでに防護服を着て対応しなくちゃいけないわけでしょ。入院患者には認知症の高齢者も多いから、排泄介助もしないといけないし。
そりゃ疲弊して辞めたくもなりますよ。
最近、救急科の先生に聞いた話だと、急患を受け入れる際も、相手が感染者かもしれないからと、防護服を着て消毒を完璧にしたうえで、対応しなければいけないそうです。
しかも、その準備に15分はかかる。それだけの時間を浪費していたら、助かる命も助からない、という事態になりかねませんが、そんなバカな対応が必要なのも、2類相当のままだからです。
それなのに日本医師会も政府の分科会も、「感染を抑え込むために国民は自粛してください」と、国民のせいにしかしない。
いや、そうじゃないでしょうよ。2類を5類に落として多くの医療機関で診れるようシステムを変えるのが務めじゃないの?
そうすれば医療崩壊の問題は解決するのに。なんたって世界一の医療大国なんだから。
インフルエンザと同じ扱いなら現場のオペレーションも確立されてるだろうし、院内感染も最小限に防げるでしょう。
死者が欧米の50~100分の1しかいない日本で医療崩壊が叫ばれるのは、過剰な対策で現場に過度の負担を強いてるためだと思うのです。
抑え込めるという幻想を捨てるべし
第3波の感染拡大にともなって、政府は「勝負の3週間」と言って行動制限を促しました。でも結局抑え込むことはできなかったようですね。
ま、寒くなってウイルスが活発になってる時期だから仕方ないと思いますが。
それにしても、自粛でウイルスを抑え込めるという幻想は、そろそろ捨てた方がいいんじゃないでしょうか。
人の活動を制限すると、必ず解除した後に反動が来ます。それは第1波、第2波を見ても明らかです。
だって、人間は社会的な活動をする生き物だから。活動を制限するのは、人間の本能に抗うことなんです。
ハンマー&ダンスとか言ってるけど、いつまでこれを繰り返すつもりなんでしょうか? さすがにもう多くの人が疲弊してきているでしょう。
結局「自粛しろー!」「緊急事態宣言をもう一度出せー!」って言ってる人って、多くは活動しなくても平気な人たちなんですよね。
働かなくても収入が入る年金生活者。会社に行かなくても給料の減らないサラリーマン。
ま、僕がサラリーマンだったら同じように「緊急事態宣言を出せー!」って言ってると思いますよ。会社に行かなくて済むんですもん(笑)。
でも自営業になった今では、活動しないことは死につながります。
経済活動しないのは、生きているのを否定することなんです。
その中で「若者たちは出歩くな」と言ってるのが、どれだけ罪なことかわかりますか?
アルバイト収入で生計を立てている人に、「生きるすべを放棄しろ」と言ってるのと同じですからね。
「感染を広げているのは若者」みたいな風潮に再びなってきていますが、僕は若者に「もっと出歩け」「頑張れ」と言いたい。そして世の中の空気を変えてほしいぐらいです。
こう言うと「感染拡大させる気か!?」と批判する人が出てきますが、肺炎球菌は無症状の乳幼児からうつるし、インフルエンザも無症状者からうつるといわれています。
コロナだけを特別扱いしてすべての行動を制限するのは、あまりにも馬鹿げています。
ハンマー&ダンスを繰り返しても、コロナが消えることはありません。
それなら抑え込めるという幻想を捨てた方が、たくさんの経済で死ぬ命を救えると思うのです。
老人のために殺される若者たち
経済優先というと「お金の亡者」のように考える人がいますが、それは間違っています。
経済は人間の活動そのものです。
経済はよく血液にたとえられますが、経済が止まると社会は死んでしまいます。
日本では失業率と自殺者数には明確な相関関係があり、失業率が1%上昇すると自殺者が4600人ほど増加します。
現に2020年11月の自殺者数は1798人(速報値)で、前年と比べて11.3%(182人)も増加しています。
自殺者数は2010年から19年まで10年連続で減少していたのに、2020年7月以降は5ヶ月連続で増加し、2020年(1月~11月)の累計自殺者は1万9101人にのぼります。
12月を含めると、今年の自殺者は2万人を超えるのは確実でしょう。なかでも女性と若年層の自殺は急増しています。
経営が悪化すると非正規社員から首を切られるので、女性や若年層といった社会的弱者が真っ先に被害を受けるんですね。
逆にコロナの死者は約3千人しかいません。そしてその多くは80代・90代の基礎疾患を持った高齢者です。
ポイント
- 自殺者数・・・約20,000人
- コロナ死亡者数・・・約3,000人
この数字を見て、どちらを守らなきゃいけないかは明白ではないでしょうか。
もうこれは、批判を覚悟の上で言わないといけないですよ。
基礎疾患のある80代・90代の老人を救うために、未来ある若者の命が犠牲になっていいのですか?と。
「命の価値は同じ」なんてきれいごとで、僕は「認知症で自分のことも分からなくなった90代の老人」と「聡明で未来のある20代の若者」では、どう考えても若者の命の価値の方が重いと思います。
老人の命のために殺される若者たち。今、日本で起きているのはこういう構図です。
自殺を防ぐためには「お金を配ればいい」「生活の保障をすればいい」という人がいますが、人間はお金がなくて自殺するのではありません。
お金がなくて自殺するのなら、竹内結子も三浦春馬も死んでいない。
今まで築き上げたものが否定され、生きる意味がなくなって絶望して死ぬのです。
今年入学した大学生は家にこもってリモート授業を受けるしかなく、夢に見ていたキャンパスライフなのにまったく友達も作れない学生がたくさんいます。
学校ではあらゆる行事が中止。年明けは成人式の中止も相次ぐでしょう。
こうやって若者の自殺予備軍を増やしておきながら、大人たちは胸が痛まないのでしょうか?
「不要不急の外出」なんてものはない
今年は飲み会も帰省も外食も、あらゆるものが「不要不急の外出」として制限されました。
僕も友達と飲んだ記憶は3回ぐらいしかありません。
でも「不要不急の外出」なんて本来、他人に判断されることではないと思うんですよ。
ただの飲み会だって、大事な人との限りある1回かもしれない。もう二度と会えなくなる人との最後の場かもしれない。
本人が「必要な外出」と考えるのであれば、それは「不要不急ではない」と思うのです。
お盆に引き続き、年末年始もまた「帰省は控えて」と言われるようになりました。
GW、お盆、シルバーウイークと、連休のたびに外出を控えろなんて、いったいどれだけ我慢すればいいのでしょう。
僕の親はもう70代後半で、まさにコロナのリスクが高い年齢です。
でも帰省のたびに思うんですよ。「あと何回親の顔を見れるだろう?」って。孫の顔もあと何回見せれるだろう、と。
同じ県内なので年何回かは帰ってるのですが、それでも50回は難しいだろう。
あと20回かもしれない。もしかすると10回かもしれない。
それなら1回の帰省といえども、とても貴重な1回だと思うのです。
他人から見れば「不要不急の外出」でも、本人にとっては貴重な1回かもしれないじゃないですか。
不要不急かどうかは他人に判断されるものではありません。
それが飲み会であれ、旅行であれ、帰省であれ。
同じようなことは、病院でも起きています。
コロナを怖がりすぎたために、多くの病院では面会が制限されています。
でも、大事な人が入院して先が短いのなら、ほとんどの人が「感染してもいいから会いに行きたい」と思うのではないでしょうか。
ましてやコロナ以外の病気でも面会が制限され、残り少ない対面ができなくなるなんて、患者と家族の人生への冒涜と言ってもいいと思います。
命より大事なものがある
秋のドラマで#リモラブが面白くてずっと見てました。
コロナ禍の現在が舞台のラブコメで、出演者がみんなマスクしてる斬新な内容だったのですが、その中で印象的なセリフがありました。
主人公の女性産業医が、熱を出した彼女の家へ行った男性社員に詰め寄るんです。
「感染防止のためには行ってはいけないに決まってるでしょう!命より大事なものがありますか?」と。
そこで男性社員は「あると思います」と答えます。そばにいた男性産業医のスタッフも「僕もあると思います」と答えるんです。
ただのラブコメとはいえ、僕はこれってすごい深い言葉だなと思いました。
確かに感染防止の観点から考えると、熱の出た彼女の家へ行くというのは、病院の面会禁止と同様やってはいけないことなのでしょう。
でも人間には、感染のリスクよりも大事なことがあるのです。
たとえば登山家は命の危険があっても山に登ります。
遭難したら救助のヘリを出したり、いろんな人に迷惑をかけるでしょう。
でも、それでも「山に登るな」とは言えないですよね?
命を賭して何かに挑もうとしている人を、「命が大事だから」と言って止められるはずがない。
同じように人はそれぞれ大事なものを抱えています。
人生をかけて取り組んでいるものなら、命より大事といっても過言ではないでしょう。
そりゃあ歳をとったらリスクも取りたくないだろうし、「命が何より大事」という感覚も分からなくもないですよ。
でも、命のためだけに生きているのは、獣や動植物と同じじゃないでしょうか。
現役世代には「命より大事なもの」があるんです。
だから今のような異様な制限は早く解除しないといけないと思います。命のために生きるのではなく人間として生きたいのならね。
まとめ
今回はデータで理論的に話すというよりも、感情的な部分を中心に語ってきました。
こうやって語ると「コロナはもっと恐ろしいんだ!」「感染してもいいなんてとんでもない!」と批判する人も出てくるでしょう。
でも日本ではコロナの致死率は極端に低く、インフルエンザ以下だというデータはそろってきています。
「コロナは怖くない」「感染してもいい」というのは前回、前々回からずっと書いてきてるので、よかったら↓こちらも読んでください。
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どうせこの騒動が終わるのは、人間がコロナを忘れるときです。
ウイルス自体はなくならないから、コロナを意識しなくならないことには収まらないんです。
だったら「コロナに慣れるな」と言わずに「コロナに慣れよう」と言いましょうよ。
慣れて、緩んで、意識しなくなることこそのが、終息への道です。
そのためには指定感染症を外して(2類から5類へ変更)、普通に生活にあるものとして扱うこと。
ウィズコロナって、そういうことなんじゃないの?
というわけで、これが今年最後のブログ記事になります。
来年もコロナに言いたいことがたまってきたら、また書くかもしれません。
できれば書かずに済むことを祈りたいですが(笑)。
今年一年、読んでいただきありがとうございました。
来年が少しでも良い年になりますように。