生活の知恵

僕が芸能人の不倫を「別にいいんじゃない」と思う理由

不倫

芸能人の不倫が大きく取り上げられては、世間の袋叩きに合って追放されるニュースが相次いでますよね。

ベッキーに始まり、矢口真里、上原多香子、ファンキー加藤。最近では東出昌大など。

でも、ワイドショーで報じられたり、SNSで批判が殺到するのを見るたびモヤモヤしませんか?

僕は不倫のニュースを見るたび、ちょっとうんざりした気持ちになります。

「別に不倫したい人はすればいいんじゃない?」と思うからです。

 

これは不倫を容認しているわけではありません。

他人だから、他人の恋愛にどうこう言いたいと思わないだけです。

 

はっきり言って、どうでもいい。

 

そう。心底どうでもいいです。

なのにみんな、どうして赤の他人のことをあーだこーだ言いたいんでしょうね。どうでもいいじゃん。

叩けるだけ叩いて再起不能にして、才能のある人をどんどんつぶしていくこの社会。

自分で自分たちの首を絞めて、社会を衰退に向かわせてるように思えて仕方ないのですが・・・。

 

芸能人の不倫など、不祥事があったらすぐに叩く社会の異様さ、不寛容さ。

この世間を取り巻く息苦しい空気についてちょっと書いてみたいと思います。

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自分の正義を振りかざしたいだけじゃない?

別に不倫したい人はしたらいいと思うんです。

あ、言っとくけど僕はしませんよ。奥さんを愛してますから(`・ω・´)キリッ

・・・なんてきれいごとを言うつもりはなく、恋愛弱者の僕は不倫なんていう上級者向けの舞台には立てないですからね。

40年以上モテなかった僕に、そんな芸当はできるわけがないw

それに不倫なんて面倒くさいことをするぐらいなら、もっと自分の趣味に時間を使いたいですし。

 

だから他人の不倫を叩きたい人の気持ちがよく分かりません。

どうでもよくないですか?

自分のことじゃないからどうでもいい。

なのに正義感を振りかざして叩くのは、単に自分の正義感を納得させたいだけではないかと思うのです。

そういう自分のエゴに気づけないまま正義を振りかざしてるから、見ていてうんざりしてしまうんですよね。

ていうか、本当は自分も不倫したいけどできないという深層心理が、嫉妬という形で表面化しているんじゃないでしょうか?

本当は心のどこかで嫉妬しているから、不倫できる身分の人を攻撃しているようにさえ思えてしまうのです。

 

もちろん不倫はいけないと思いますよ。

でも、迷惑がかかるのは当事者の周りの人間だけ。

不倫がいけないのは、奥さんを筆頭に周りの人間・家族に迷惑がかかるからです。

僕ら視聴者には何の迷惑もかかってない。

なのに記者会見で謝罪をしなければいけない風潮はなんなんでしょうか?

「世間をお騒がせして申し訳ありません」って、世間が勝手に騒いだだけであって、世間に対して何も悪いことはしていないのに。

謝らないといけないのは、奥さんとスポンサーに対してだけしょう。

周りの人間に謝ればそれでいいのです。

にもかかわらず、謝罪のしかたに世間がとやかく言うのは訳が分かんないです。

 

そもそも日本は法治国家だから、人を裁いていいのは法律だけのはず。

不倫は犯罪ではないから、当事者の間で片づければいい問題です。

代償をかぶるのは当事者自身だし、すべては自己責任。

なのに周りがとやかく言うのは、中世の魔女狩りよろしく私刑(リンチ)だと言えるでしょう。

この近代社会で私刑(リンチ)がまかり通っているわけですよ。恐ろしい・・・。

 

結局みんな自分の憂さ晴らしでやってると思うんです。

なのに本人は憂さ晴らしでやってる自覚がない。脊髄反射で叩けるから叩く。

なんせSNSで「いいね」を押すだけの手軽さですもんね。簡単に共感できるがゆえ、正義という名の悪意は雪だるまのように膨れ上がります。

そして儲かるのは週刊誌やワイドショーという構図です。

自分が週刊誌の手先になってしまってるの、理解してますか?

 

表現者としての才能と品行方正さは全く関係がない

不倫が報道されると当人の出演番組をカットしたり、広告を取り下げるのも疑問ですね。「そんな必要あるのかな?」と思ってしまいます。

だって作品と本人の私生活はまったく関係がないですからね。

作品に罪はないのに、作品まで封印してしまう風潮はどうなんでしょうか。

すべてはクレーマーを恐れてるのと、スポンサーへの忖度でしょうけど、第二次世界大戦の検閲と同じじゃありませんか?

 

僕は作った人がどれだけ極悪非道であろうと、作品が素晴らしいなら見てみたいです。

ていうか、世の中の常識から外れた人だからこそ、常識では考えられない傑作が作れるんじゃないでしょうか。

 

芸能人やアーティストって、ある意味ヤクザもんですからね。狂ってるからこそ面白いものを生み出せる側面はあります。

そこに品行方正を求めるのは、才能をつぶすことになるんじゃないかなぁ。

生活が品行方正かは表現者の才能と全く関係がないのに、なぜか全員に品行方正さを求めている。

あまりにも純潔を求める風潮は、文化を衰退させていく気がしてなりません。現に今のテレビってクソつまらないでしょ。

勝新太郎が私生活は無茶苦茶でも評価されたように、表現者としての才能は品行方正さとは関係がないのです。

 

不倫や浮気を「芸のこやし」と言うのは時代遅れかもしれません。

ただ、実際は「芸のこやし」という一側面もあると思います。

というのも、笑いは常識を壊すときに起こるものだからです。

たとえばお葬式でオナラをするのって、面白いシチュエーションのテッパンでしょ? ドリフがコントでやっていたやつ。

絶対にしちゃいけない空気の中で出るオナラだから面白いのです。

ピンと張りつめた常識の空気を壊すことで起こるのが、「笑い」なんですよね。

笑いにしろ音楽にしろ演劇にしろ、常識を壊すからこそ面白い作品が出来上がります。

常識通りに行動する純潔まっすぐ君に、そんな面白い作品が生み出せるでしょうか?

 

僕は政治家の賄賂も、ミュージシャンの薬物も、ある程度は仕方ないものだと思っています。

もちろん賄賂や薬物は犯罪ですから、いけないことはいけないんですよ。

でも、政治家は賄賂をもらうぐらいドス黒い駆け引きができないと務まらないでしょうし、ミュージシャンも薬物に手を染めるぐらい苦悩するから良い音楽が書けるという側面もあります。

それぐらい狂ってないといいものはできないし、それぐらいの実力を見てみたい。

それらをすべて否定してしまうのは、社会や文化を衰退させることにつながると思うんですけどね。

小室哲哉や槇原敬之みたいに「おかしいぐらい」の才能がある人なら、叩いて社会から抹殺するのではなく、常識から外れてでも良い作品を作り出してほしいなと僕は思ってしまいます。

 

再起不能社会でいいのか?

こうやって失敗した人を総攻撃する社会は、再起不能社会と言えます。

出る杭は叩かれるから、一切失敗はできません。

失敗できないということは、誰も失敗を恐れてチャレンジをしなくなります。

テレビの衰退がまさにそれを象徴していて、失敗を恐れてチャレンジしないからどんどん滅亡に向かってるじゃないですか。

 

こういった息苦しさを作っているのが、脊髄反射的に人を叩く人たちです。

自分たちで自分たちの社会を息苦しくさせていることに気づかないんでしょうか。どんどん社会をつまらなくさせているし、生きにくくさせている。

だからこの息苦しさをせめて口にしてみませんか?

次に芸能人の不倫のニュースが出たらみんなで言ってみてはどうでしょう?

「どーーーでもいい!!!」って。

そういうサイレントマジョリティの声こそ、もっと広めるべきなんじゃないですかね。

声にならない声が表に出ることで、少しでも再起不能社会の回避につながればいいな、と思うのです。

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